チームの停滞を乗り越える:技術的課題解決と心理的安全性を両立するリーダーシップ事例
はじめに
ITエンジニアリング組織において、プロジェクトの進行が遅滞したり、チーム全体の士気が低下したりする「停滞期」は、残念ながら避けられない課題の一つかもしれません。このような状況下では、技術的なボトルネックが原因であることもあれば、メンバー間のコミュニケーション不足や疲弊といった人間的な側面が大きく影響していることもあります。
本記事では、あるエンジニアリングチームが直面した停滞期に、リーダーがどのように技術的な課題への取り組みと、メンバーの心理的な状態への配慮を両立させながらチームを立て直したのか、その具体的な事例をご紹介します。これは、技術力を持つSenior Software EngineerやTech Leadが、リーダーシップを発揮する上で参考となる視点を提供するものと考えます。
事例の背景:停滞に陥ったチーム
今回取り上げるのは、金融系システム開発を担うあるチームの事例です。このチームは長期間にわたる大規模な機能開発に取り組んでいました。プロジェクト初期は順調に進んでいたものの、開発が進むにつれて以下のような課題が顕在化しました。
- 技術的な課題:
- 過去からの蓄積された技術負債(特定のモジュールの複雑性、テストコードの不足)が、新しい機能開発の速度を著しく低下させていました。
- 複数の外部システムとの連携が複雑で、変更による影響範囲の特定やデバッグに多大な時間を要しました。
- 開発環境の不安定さが、メンバーの生産性を低下させていました。
- 人間的な課題:
- 度重なる仕様変更や技術的な困難により、チーム全体に疲弊感と諦めムードが漂っていました。
- 課題や懸念を率直に共有する機会が減り、メンバー間で問題が「隠される」傾向が見られるようになりました。
- チーム内のコミュニケーションが業務連絡に終始し、心理的な距離が生まれつつありました。
リーダーである佐藤氏(仮名)は、チームのコードコミット数の減少や、朝会の沈滞した雰囲気から、チームが深刻な停滞に陥っていることを認識しました。
リーダーのアプローチ:技術と人間性の両立
佐藤氏は、この停滞を乗り越えるために、技術的な側面と人間的な側面の双方からアプローチを行うことを決断しました。
1. 技術的課題への冷静な分析と方向付け
まず、佐藤氏は感情論を排し、チームの停滞の根本的な技術的原因を特定することに注力しました。
- 原因の特定: チームミーティングとは別に、技術課題の分析に特化した時間を設けました。ここでは、特定の機能開発がなぜ遅れているのか、最も時間を要している作業は何かなどを、メトリクス(例: Pull Requestのマージ時間、デバッグに費やされた時間)やメンバーからのヒアリングを通じて洗い出しました。
- ボトルネックの特定と共有: 分析の結果、特定のレガシーモジュールの変更と、外部システムとの連携テストに関する部分が最大のボトルネックとなっていることが判明しました。佐藤氏はその分析結果をチーム全体にデータと共に共有し、なぜ自分たちの作業が遅れているのかを客観的に理解できるようにしました。
- 短期的な改善策の実行: 全ての技術負債を一掃することは不可能ですが、ボトルネックとなっている部分に対しては、短期的に効果が見込める改善策を立案しました。例えば、ボトルネックとなっているモジュールの最小限のリファクタリング範囲を定義し、ペアプログラミングやモブプログラミングで集中的に取り組む時間を設けました。また、不安定な開発環境については、インフラ担当者と密に連携し、原因究明と暫定的な安定化策を講じました。
- 長期的な計画の見直し: プロジェクト全体のスケジュールや技術ロードマップを見直し、技術負債の解消や安定化への取り組みを今後の計画に組み込む提案をマネジメント層に行いました。
佐藤氏は、これらの技術的な取り組みにおいて、自分一人が解決策を提示するのではなく、チームメンバーの技術的な知見や意見も積極的に取り入れました。これにより、メンバーは単に指示を待つのではなく、「自分たちの問題」として捉え、解決策を考える主体者となることを促しました。
2. チームの心理的な状態への配慮と対話
技術的な課題への取り組みと並行して、佐藤氏はチームメンバーの心理的な側面にも細やかに配慮しました。
- 1on1ミーティングの強化: 全てのメンバーと定期的に1on1ミーティングを実施しました。ここでは、業務の進捗だけでなく、現在の状況についてどう感じているのか、困難に感じていることは何か、といった心理的な側面についても深く傾聴する時間を持ちました。
- 心理的安全性の確保: 「今の状況は困難だが、これは誰か個人の責任ではない」というメッセージを繰り返し伝えました。課題やミスが発生しても、非難するのではなく、原因を分析し次に活かすという姿勢をチーム内で徹底しました。メンバーが安心して「困っています」「分かりません」と言える雰囲気を作ることに努めました。
- 小さな成功体験の創出: 大規模な目標達成が遠く感じられる状況では、メンバーのモチベーションは維持しにくいものです。そこで、佐藤氏は前述の短期的な技術改善策のように、比較的短期間で達成可能な小さな目標を設定し、その達成をチーム全体で認識し、讃え合う機会を意図的に設けました。例えば、「〇〇モジュールのリファクタリング完了」「△△機能のデバッグ成功」といった具体的な成果を共有し、ポジティブなフィードバックを行いました。
- 目的意識の再確認: プロジェクトの当初の目的や、自分たちの仕事がユーザーやビジネスにどのような価値を提供しているのかを改めてチームで共有しました。困難な状況の中でも、自分たちの仕事には意義があるということを再認識してもらうことで、内発的な動機付けを促しました。
- 雑談や休憩の促進: 業務時間内に短い雑談時間を設けたり、意識的に休憩を取ることを推奨したりしました。オンラインでの実施の場合でも、業務に関係ない気軽なコミュニケーションを促すチャネルを用意するなど工夫しました。これにより、メンバー間の人間的な繋がりを維持・強化し、孤立感を軽減する効果を狙いました。
佐藤氏は、これらの人間的なアプローチにおいて、メンバーの感情に寄り添いながらも、リーダーとして冷静さを保ち、チームを前向きな方向へ導くための明確な意思を持って行動しました。
結果と評価:停滞からの脱却へ
佐藤氏の技術と人間性の両面からのアプローチの結果、チームは徐々に停滞状態から脱却の兆しを見せ始めました。
短期的な技術改善策によって、ボトルネックの一部が解消され、開発速度がわずかずつ向上しました。これにより、「全く進んでいない」という閉塞感が和らぎ、メンバーは「少しずつでも前進できている」という実感を得られるようになりました。
また、積極的な1on1や心理的安全性の確保への継続的な取り組みにより、チーム内のコミュニケーションが改善しました。課題や懸念がオープンに共有されるようになり、隠されていた問題が顕在化し、チームとして対処できるようになりました。メンバー間の信頼関係が回復し、以前のような沈滞した雰囲気は徐々に解消されていきました。
もちろん、全ての課題が魔法のように解決したわけではありません。技術負債の解消は長期的な取り組みであり、プロジェクト全体の困難な状況が劇的に変化したわけでもありません。しかし、チームは「停滞している状態」から脱却し、「困難な状況の中でも、課題を共有し、共に解決策を考え、小さな一歩でも前進しよう」という前向きな姿勢を取り戻すことができたのです。
この事例は、技術的な困難がチームの停滞を招く一因となるが、その解決には技術的な分析と同時に、チームメンバーの心理状態への深い理解と適切なケアが不可欠であることを示しています。
事例から学べること
この事例から、特にSenior Software EngineerやTech Leadといった技術を深く理解しつつリーダーシップを発揮する立場にある方が学べる点はいくつかあります。
- 技術的課題を「チームの課題」として共有する: 停滞の原因が技術にある場合、技術的な専門知識を用いてその根本原因を特定し、それをチーム全体が理解できるように説明することが重要です。特定の個人や一部のメンバーの問題ではなく、「チームが乗り越えるべき課題」として共有することで、協力を促し、主体的な解決への参加を促すことができます。
- 人間的な側面への感度を高める: メンバーのパフォーマンス低下やコミュニケーションの変化の背景に、疲弊や不安といった心理的な要因がある可能性を常に意識すること。コードだけでなく、チームという人間集団の「状態」を観察し、変化に気づく感度が必要です。
- 対話を通じて信頼関係を構築する: 1on1や日常的なコミュニケーションを通じて、メンバーが安心して本音を話せる関係性を築くこと。特に困難な状況下では、傾聴する姿勢がメンバーの安心感につながり、心理的安全性を高めます。
- 小さな成功を積み重ね、認識する: 大きな目標が遠い時ほど、達成可能な小さな目標を設定し、その達成をチーム全体で認識し、ポジティブなフィードバックを行うことが重要です。これはチームの士気を維持・向上させる上で非常に効果的です。
- リーダー自身も困難を乗り越える姿勢を示す: リーダーが困難な状況に対して冷静かつ前向きな姿勢を示すことは、チームに安心感を与え、共に乗り越えようという意欲を引き出します。
結論
ITエンジニアリング組織におけるチームの停滞は、技術的な課題と人間的な課題が複雑に絡み合って発生することが少なくありません。このような状況を打開するためには、技術的な知見を活かした原因分析と解決策の立案に加え、メンバー一人ひとりの心理状態に配慮し、対話を通じて信頼関係と心理的安全性を築くことが不可欠です。
今回ご紹介した事例は、技術と人間性の両輪でアプローチすることの重要性を示しています。Tech LeadやSenior Software Engineerの皆さまが、ご自身のチームで停滞に直面した際に、この事例が何かしらの示唆となり、チームを再び前向きな状態へと導く一助となれば幸いです。「リーダーズ・ブレンド 事例集」は、今後もこのような技術と人間性を両立するリーダーシップの実践事例を紹介してまいります。