レガシーシステム改善を推進する:技術的な戦略とチームの変革意欲を両立するリーダーシップ事例
はじめに
多くのITエンジニアリング組織において、長年運用されてきたレガシーシステムの存在は避けられない課題です。技術的な老朽化は開発効率の低下や不具合の増加を招き、同時にチームメンバーのモチベーション低下や、改善への心理的な抵抗を生むことがあります。レガシーシステムの改善は、単に技術的な解決策を講じるだけでなく、チーム全体の意識を変革し、前向きに取り組む意欲を引き出す人間的なアプローチが不可欠となります。
本記事では、「リーダーズ・ブレンド 事例集」のコンセプトに基づき、あるITエンジニアリング組織でレガシーシステムの改善を推進したリーダーシップ事例を紹介します。技術的な戦略とチームの変革意欲をどのように両立させたのか、その具体的なアプローチと学びを掘り下げていきます。
事例の背景
ある企業のEコマース部門では、基幹システムとして10年以上前に構築されたシステムが稼働していました。このシステムは当時の技術トレンドに基づいていましたが、フレームワークのバージョンが古く、利用しているライブラリにも脆弱性が報告されていました。コードベースは複雑化し、特定の担当者に依存する「属人化」も進んでいました。
技術的な課題に加え、このシステムに関わるチームでは、新しい機能開発よりも保守運用に多くの時間が取られ、メンバーからは疲弊感や停滞感が感じられていました。改善の必要性は認識されていましたが、「時間がかかる」「リスクが高い」「メリットが見えにくい」といった声が多く、本格的な改善プロジェクトは立ち上げられずにいました。Tech LeadであるA氏は、この状況を変革する必要性を強く感じていました。
リーダーのアプローチ:技術と人間性の両立
A氏は、レガシーシステム改善を成功させるためには、技術的なロードマップを示すだけでなく、チームメンバーの意識を変え、共に改善に取り組む体制を構築することが重要だと考えました。A氏が取った主なアプローチは以下の通りです。
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技術的な課題と改善の必要性を「チームの課題」として共有する: A氏は、システムの技術的な現状(古いバージョン、脆弱性、属人化箇所)を客観的なデータ(例: 静的解析ツールのレポート、過去の障害件数)を用いてチームに共有しました。その上で、これが今後の機能開発速度や、メンバーの新しい技術への関心にどう影響するかを具体的に説明し、「この状況を放置すれば、私たち自身の成長機会も失われる」というメッセージを伝えました。単なる「会社の課題」ではなく、「自分たちの課題」として認識を共有することを目指しました。
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改善の「ビジョン」と「メリット」を具体的に示す: 漠然とした「レガシーシステム改善」ではなく、「改善によって何が達成できるか」のビジョンを示しました。例えば、「この部分を改善すれば、新しい機能を〇〇%早く開発できるようになる」「このモジュールを切り出せば、モダンな技術を使った開発の経験が積める」といった具体的なメリットを提示しました。技術的な理想だけでなく、それがチームメンバーの日常業務やキャリアにどう良い影響を与えるかを丁寧に説明しました。
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「小さく始める」ための技術的な戦略: 大規模なリプレイスはリスクが高く、チームの心理的なハードルも高いと判断しました。そこでA氏は、技術的な観点からシステムを分析し、影響範囲が限定的で、かつ改善効果が見えやすいモジュールや機能を特定しました。そして、まずはその部分からモダンな技術を用いたマイクロサービスとして切り出す、あるいはリファクタリングするという段階的な戦略を提案しました。これにより、「小さく始められる」「成功体験を積みやすい」という心理的な安心感を与えました。
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チームメンバーの主体的な参加を促す: 改善箇所の特定や技術選定において、チームメンバーの意見やアイデアを積極的に求めました。「どの部分が特に開発のボトルネックになっているか」「どの技術なら意欲的に取り組めそうか」といった点をヒアリングし、計画に反映させました。また、各メンバーの興味や得意分野に応じて、特定のモジュールの改善リーダーを任せるなど、権限委譲を行い、オーナーシップを醸成しました。これにより、「やらされ感」ではなく「自分たちのプロジェクト」という意識を高めました。
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成功と学びを共有し、心理的安全性を確保する: 改善活動の進捗は定期的にチーム全体で共有しました。小さな改善でもその成果を認め、成功体験を積み重ねることでチームの士気を維持しました。また、技術的な試行錯誤の中で発生した問題や失敗についても、非難するのではなく「学び」として共有する文化を意識的に作りました。これにより、メンバーが新しい技術やアプローチに挑戦しやすい心理的な安全性を提供しました。
結果と評価
A氏の技術的戦略と人間的アプローチの組み合わせにより、チームのレガシーシステム改善に対する姿勢は大きく変化しました。
- 技術的な進展: まずは特定モジュールの切り出しとリファクタリングが進み、その部分の開発・デプロイサイクルが大幅に短縮されました。システムの技術的な健全性も一部で向上しました。
- チームの変化: 改善活動への参加意欲が高まり、メンバー自身が積極的に改善提案を行うようになりました。新しい技術に触れる機会が増え、技術的な好奇心や学習意欲が刺激されました。チーム全体のコラボレーションも活発になり、以前のような閉塞感は薄れました。
- 組織への影響: 小さな成功事例ができたことで、他のチームやステークホルダーからの理解と協力も得やすくなり、より大きな範囲での改善計画へと繋がる道が開けました。
もちろん、レガシーシステム全体の改善は長期的な道のりであり、すべての課題が解決されたわけではありません。しかし、A氏のリーダーシップによって、停滞していたチームが「変革への一歩を踏み出す」ことができた点は大きな成果でした。
事例から学べること
この事例から、Tech Lead/Senior SEがレガシーシステムのような困難な技術的課題に取り組む際に学べることは多岐にわたります。
- 技術的な課題認識の共有: 課題を客観的なデータで示し、それがチームや個人にどう影響するかを具体的に伝えることが、変革の第一歩となります。
- ビジョンとメリットの提示: 技術的な目標だけでなく、改善によって得られる具体的なメリット(開発効率向上、新技術習得など)をチームメンバーに伝えることで、共感と意欲を引き出せます。
- 段階的なアプローチ: 全体を一度に変えるのではなく、小さく始め、成功体験を積む技術戦略は、心理的なハードルを下げ、継続的な推進力を生み出します。
- 主体性の尊重と権限委譲: チームメンバーのアイデアを取り入れ、責任と権限を与えることで、オーナーシップとエンゲージメントを高めることができます。
- 心理的安全性の確保: 挑戦を奨励し、失敗を学びと捉える文化を醸成することが、変革を恐れず前向きに取り組むチームを育てます。
レガシーシステム改善は、技術的な深い理解と同時に、チームメンバー一人ひとりの感情や意欲に寄り添う人間的なリーダーシップが求められる典型的な例と言えるでしょう。
まとめ
ITエンジニアリング組織におけるリーダーシップは、技術的な専門性と人間的な洞察力の両輪で推進されます。特にレガシーシステムのような複雑で困難な課題においては、技術的な戦略を練る力に加え、チームメンバーの心理状態を理解し、彼らの内発的な動機を引き出すコミュニケーションや働きかけが成功の鍵を握ります。
本事例が、Senior SEやTech Leadとして、技術的な課題解決とチームマネジメントの両立を目指す皆さんの参考となり、「技術と人間性の両立」というリーダーズ・ブレンドの精神を実践するための一助となれば幸いです。