チームの知識を平準化し、自律性を育む:属人化を乗り越える技術リーダーの事例
はじめに:属人化がもたらす課題とリーダーシップの役割
ITエンジニアリング組織において、特定の技術やシステムに関する知識や経験が一握りのメンバーに集中してしまう「属人化」は、様々な課題を引き起こします。開発速度の低下、保守性の悪化、担当者の不在時のボトルネック、そして何よりチーム全体の成長機会の損失などが挙げられます。
これらの課題を解消するためには、単に技術的なドキュメントを整備するだけでなく、チームメンバー間の知識共有を促進し、互いに学び合い、成長できる環境を築くことが不可欠です。ここでは、技術的なアプローチと人間的な配慮を組み合わせることで、属人化という壁を乗り越え、チームの知識を平準化し、メンバーの自律的な成長を促した技術リーダーの事例を紹介します。
事例の背景:特定メンバーに集中した専門知識
あるWebサービス開発チームでは、長年システムを支えてきたベテランエンジニアA氏に、特定の重要なサブシステムに関する深い知識が集中していました。そのサブシステムはサービスの根幹に関わる部分であり、A氏以外にその全体像や詳細な挙動を把握しているメンバーはいませんでした。
新規機能開発や改修が必要になるたびに、A氏への依存が発生し、他のメンバーはコードの変更に時間を要したり、不安を感じたりしていました。また、A氏自身も質問対応やレビューで手一杯になり、本来集中したい高度な技術課題に取り組む時間が圧迫されていました。チームは技術的には成熟しつつありましたが、この属人化がボトルネックとなり、チーム全体の生産性向上やメンバーのスキルアップが鈍化している状況でした。当時のチームリーダー(後に事例のリーダーとなるB氏)は、この状況を改善する必要性を強く感じていました。
リーダーのアプローチ:技術と人間性の融合
リーダーのB氏は、属人化の解消が技術的な問題であると同時に、チームメンバーの心理や関係性に関わる人間的な問題であると捉え、以下の多角的なアプローチを実行しました。
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課題の共有と共通認識の醸成: B氏はまず、チーム全体で属人化がもたらす課題(ボトルネック、リスク、成長機会の損失など)について正直に話し合う場を設けました。特定の個人を責めるのではなく、「チームとしての課題」として共有することを心がけ、メンバー一人ひとりが属人化解消の必要性を自分事として捉えられるように働きかけました。特にA氏に対しては、これまでの貢献への感謝を伝えつつ、負担軽減と新たな役割への期待について丁寧に説明し、協力への理解を求めました。
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体系的な知識共有の促進(技術的側面):
- ドキュメント・可視化の推進: A氏の持つ知識を形式知とするため、対象サブシステムの設計思想、主要コンポーネント、データフローなどをまとめたドキュメント作成を優先しました。A氏が一人で抱え込まないよう、他のメンバーも協力してドキュメント作成や既存コードの図解化に取り組みました。
- コードレビューの活性化: 対象サブシステムのコードレビューを、A氏だけでなく他のメンバーも参加必須としました。レビューの際には、単なるコードの修正指摘だけでなく、設計の意図や技術的な背景、考慮すべき点などを積極的に共有することを奨励しました。B氏自身もレビューに参加し、模範を示しました。
- ペアプログラミング/モブプログラミングの導入: 対象サブシステムの改修タスクを行う際に、複数のメンバーでペアプログラミングやモブプログラミングを行う機会を意図的に増やしました。これにより、コードを書きながらリアルタイムで知識やノウハウが共有され、実践的な理解が進みました。
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メンバー育成と心理的安全性の確保(人間的側面):
- メンタリングと学習計画: 属人化していた知識を習得したいと考えるメンバーに対し、B氏やA氏がメンターとなり、学習計画の策定や質問へのサポートを行いました。個々のメンバーのスキルレベルや関心に合わせて、無理なく知識を深められるように配慮しました。
- 質問しやすい雰囲気作り: 「質問は歓迎」「分からないことは恥ずかしいことではない」というメッセージを繰り返し伝え、チーム内に心理的安全性を醸成しました。チャットツールでの質問チャンネルの設置や、定期的な質疑応答セッションの開催など、気軽に質問できる仕組みも導入しました。
- 成功体験の共有: 属人化していた部分の課題をメンバーが自力で解決できた際には、その成果をチーム全体で共有し、称賛しました。小さな成功体験を積み重ねることで、メンバーの自信とモチベーションを高めました。
結果と評価:解消に向かう属人化と高まる自律性
B氏の技術と人間性を両立したアプローチの結果、チームには以下のような変化が現れました。
- 知識の分散: 対象サブシステムに関する知識が特定のメンバーだけでなく、複数のメンバーに共有されるようになりました。これにより、特定のメンバーへの依存度が低下し、タスクのアサインが柔軟に行えるようになりました。
- 開発効率の向上: コードレビューやペアプログラミングを通じてメンバー間の相互理解が深まり、円滑なコミュニケーションによる手戻りの削減や、効率的な共同作業が可能になりました。これにより、対象サブシステムに関連する機能開発や改修のリードタイムが短縮されました。
- メンバーの成長と自律性の向上: 知識共有の機会が増えたことで、メンバーは新しい技術や既存システムの深い理解を得ることができました。自信を持ってシステムに関われるようになり、自律的に課題を発見・解決しようとする姿勢が強まりました。A氏もボトルネックから解放され、より高度な技術課題やチーム全体の技術力向上といった新しい役割に貢献できるようになりました。
- チームワークの強化: 共通の課題解決に取り組む過程で、チームメンバー間の協力体制が強化され、一体感が高まりました。心理的安全性が確保されたことで、建設的な議論が増え、より良い意思決定ができるようになりました。
もちろん、属人化が完全に解消されたわけではなく、継続的な取り組みが必要ですが、この事例を通じてチームは属人化を乗り越えるための強固な土台を築き、持続的に成長できる組織へと変貌を遂げつつあります。
事例から学べること:Tech Lead/Senior SEへの示唆
この事例は、Tech LeadやSenior SEといった技術とチームの間を取り持つ立場にあるエンジニアにとって、多くの示唆を含んでいます。
- 技術課題の背後にある人間的側面の理解: 属人化のような技術的な課題も、結局はメンバーの知識、スキル、心理、そしてチーム内のコミュニケーションの問題です。課題を多角的に捉え、技術的な解決策だけでなく、人間的なアプローチを組み合わせることが重要です。
- 対話を通じた課題共有と共通認識の醸成: 一方的に解決策を押し付けるのではなく、なぜ属人化が課題なのか、どうすれば改善できるのかをチームメンバーと対話を通じて共有し、納得感を持って主体的に取り組んでもらうことが成功の鍵です。
- 多様な知識共有手法の活用: ドキュメント、レビュー、ペアプログラミングなど、様々な手法を組み合わせることで、異なる学習スタイルを持つメンバーに対応し、効果的な知識伝達を実現できます。
- 心理的安全性の確保とメンタリングの重要性: メンバーが失敗を恐れずに質問したり、新しい技術に挑戦したりできる環境作りは、知識共有と成長の土台となります。個々のメンバーへの丁寧なメンタリングは、彼らの成長を加速させます。
- 貢献の評価と新しい役割への支援: 属人化していた知識を持つメンバーのこれまでの貢献を正当に評価し、知識共有後の新しい貢献の機会を提供することで、彼らのモチベーションを維持し、チーム全体のポジティブな変化へと繋げることができます。
結論:技術と人間性の両立がもたらすチームの成長
属人化の解消は、技術的な知識の移転だけでなく、チームメンバー一人ひとりの成長と、チーム全体の信頼関係の構築に深く関わっています。今回紹介した事例のように、技術的なアプローチと人間的な配慮をバランス良く組み合わせるリーダーシップは、属人化という複雑な課題に対し、効果的な解決策をもたらします。
技術的な専門性を持ちながらも、チームメンバーの成長や心理的な側面にも寄り添うことができる技術リーダーこそが、持続的に成長し、変化に対応できる強いエンジニアリング組織を築くことができるのです。