継続的な改善文化をチームに根付かせる:技術的な仕組みと心理的安全性を両立するリーダーシップ事例
継続的な改善文化をチームに根付かせるリーダーシップ
技術進化の速いITエンジニアリング組織において、継続的な改善は競争力を維持するために不可欠です。しかし、単に改善プロセスを導入するだけでは、それが形骸化してしまうことも少なくありません。真に機能する改善文化を育むためには、技術的な側面だけでなく、チームメンバーが安心して意見を出し合える心理的な安全性も同時に考慮する必要があります。
本記事では、あるITエンジニアリングチームで、いかにして技術的な仕組みと人間的な配慮を組み合わせることで、継続的な改善文化を根付かせることができたのか、そのリーダーシップ事例を紹介します。
事例の背景:停滞した改善活動
対象となるのは、Webアプリケーションの開発・運用を行う10名規模のエンジニアリングチームでした。技術的には一定のスキルレベルを持つメンバーが多く、プロジェクトも順調に進んでいるように見えていました。しかし、内情としてはいくつかの課題を抱えていました。
- 形式的な振り返り: スプリントごとに振り返り(Retrospective)は実施しているものの、定例業務として消化されている側面が強く、本質的な課題提起や具体的な改善策に繋がりにくい状況でした。
- 心理的な壁: 失敗や問題点について言及することに対する遠慮があり、特に経験の浅いメンバーからは意見が出にくい雰囲気がありました。過去に失敗を厳しく追及された経験があるメンバーもおり、萎縮している様子が見られました。
- 技術負債の蓄積: 短期的な納期優先のため、技術負債が蓄積しつつありましたが、その解消に向けた議論が活発に行われず、目の前のタスクに追われる状況でした。
- 改善提案の停滞: プロセスや開発手法に関する新しい提案が少なく、チームとして新しいチャレンジを避けがちな傾向が見られました。
チームのリーダーであるA氏は、この状況に危機感を抱いていました。技術的な優秀さだけでは、長期的なチームの成長とプロダクトの品質維持は難しいと感じていたのです。改善活動を通じて、チーム全体の技術力向上と自律性を高める必要性を強く認識していました。
リーダーのアプローチ:技術と人間性のブレンド
A氏は、これらの課題に対し、技術的な仕組みと人間的な側面の両方からアプローチを開始しました。
1. 心理的安全性の土台作り
まず、A氏が最も重要視したのは、チーム内の心理的安全性を高めることでした。
- 「失敗は学びの機会」というメッセージの徹底: 失敗や問題発生時、個人を責めるのではなく、原因究明と再発防止に焦点を当てる姿勢を、リーダー自身が徹底して示しました。インシデント発生後の振り返りでは、原因分析に時間をかけ、改善策をチームで検討することを習慣化しました。
- 建設的なフィードバック文化の醸成: コードレビューや設計レビューにおいて、技術的な指摘だけでなく、ポジティブな点や「より良くするための提案」というスタンスを強調しました。また、メンバーが互いに感謝を伝え合う機会を設け、肯定的な側面にも目を向けさせました。
- オープンな対話の奨励: 定期的な1on1ミーティングを設け、メンバーが抱える不安やキャリアに関する悩み、技術的な課題などを気軽に話せる場を作りました。また、チームミーティングでは、誰もが自由に発言できるようなファシリテーションを心がけました。特に、意見を言いにくいメンバーに対しては、事前に個別で意見を聞くなどの配慮を行いました。
2. 改善を後押しする技術的な仕組みの導入
心理的な安全性の土台の上に、改善活動を継続・促進するための技術的・プロセス的な仕組みを導入しました。
- 改善提案の可視化とトラッキング: チームで利用しているタスク管理ツールに「改善提案」という専用のラベルやプロジェクトを作成しました。これにより、誰でも思いついた改善点を気軽に登録でき、その進捗状況をチーム全体で共有できるようにしました。些細な提案も歓迎する姿勢を示しました。
- 振り返りプロセスの改善: 振り返りの形式をいくつかのパターン(KPT、Starfishなど)からチームで選択できるようにしたり、オンラインホワイトボードツールを活用して匿名での意見提出も可能にしたりするなど、マンネリ化を防ぎ、より多様な意見を引き出す工夫をしました。また、振り返りで出たアクションアイテムは必ずタスク化し、担当者と期限を明確にしました。
- 技術負債解消タスクの計画への組み込み: チームで合意形成した技術負債解消タスクについて、定期的にスプリント計画の中に組み込むようにしました。これにより、改善活動が単なる「やりたいことリスト」で終わらず、実際の開発フローの一部として実行されるようにしました。
3. 小さな成功体験の積み重ね
大きな改善だけでなく、小さな改善から実行に移し、成功体験を積み重ねることを重視しました。
- 改善時間の確保: 各スプリントで、改善タスクに取り組むための時間を意識的に確保しました。例えば、「改善デー」を設ける、スプリントの一定割合を改善タスクに割り当てるなどの試みを行いました。
- 改善成果の共有と承認: 改善活動によって得られた成果(例えば、デプロイ時間の短縮、テストのカバレッジ向上、バグの減少など)をチーム内で積極的に共有し、メンバーの貢献を認め、称賛しました。これにより、「改善に取り組むことには意味がある」というポジティブなフィードバックループを生み出しました。
結果と評価:文化としての定着への一歩
これらの技術的・人間的なアプローチを組み合わせた結果、チームには以下のような変化が見られました。
- 改善提案数の増加: 以前はほとんどなかった改善提案が、日常的にタスク管理ツールに登録されるようになりました。技術的な仕組みが、心理的なハードルを下げる効果を発揮しました。
- 振り返りの質の向上: 形式的だった振り返りが、チームの抱える課題や改善点について、活発かつ建設的な議論が行われる場へと変わりました。メンバーが率直に意見を交換できるようになりました。
- 技術負債解消への意識向上: 技術負債が「いつかやる」ではなく、「いま取り組むべき」課題としてチーム全体で認識されるようになり、計画的に解消が進められるようになりました。
- チームの自律性向上: 自分たちの手で課題を見つけ、解決していくという意識が芽生え、リーダーからの指示待ちではなく、自律的に改善に取り組む姿勢が見られるようになりました。
もちろん、すべての試みがすぐに成功したわけではありません。改善時間の確保が難しいスプリントがあったり、特定のメンバーからの意見を引き出すのに時間がかかったりといった試行錯誤もありました。しかし、リーダーが粘り強く技術的な仕組みと人間的なサポートを両立し続けたことで、チームは確実に継続的な改善に取り組む文化を築きつつあります。
事例から学べること
本事例は、ITエンジニアリング組織における継続的な改善文化の醸成が、単なるプロセスの導入や技術的なツール選定だけでは不十分であり、そこにチームメンバーの心理的な側面への配慮が不可欠であることを示唆しています。Tech LeadやSenior SEの立場にある読者にとって、この事例から以下の点が学べるのではないでしょうか。
- 技術と人間性の両輪: 改善活動に限らず、チームの生産性や健全性を高めるためには、技術的な合理性追求と同時に、チームメンバーの感情や心理状態への配慮が不可欠です。どちらか一方だけでは、継続的な成果を得ることは難しいでしょう。
- 心理的安全性の重要性: チームが抱える真の課題(技術的なものを含む)は、メンバーが安心してそれを共有できる環境がなければ表面化しません。リーダーは、メンバーが失敗を恐れずに発言できる土壌を耕す必要があります。
- 仕組み化と習慣化: 改善を特別なイベントにするのではなく、日々の開発プロセスの中に組み込み、技術的なツールや仕組みでサポートすることで、継続性を確保できます。
- 小さな一歩から: いきなり大きな変革を目指すのではなく、実現可能な小さな改善から始め、成功体験を積み重ねることが、チームのモチベーション維持と文化定着につながります。
結論
ITエンジニアリング組織におけるリーダーシップは、最新の技術動向を理解し、技術的な意思決定を行う能力に加え、チームメンバー一人ひとりと向き合い、その成長や心理的な側面に配慮する人間的な能力が求められます。「リーダーズ・ブレンド 事例集」が示すように、技術的な卓越性と人間的な温かさを兼ね備えたリーダーシップこそが、変化の激しい現代において、強くしなやかなエンジニアリング組織を創り上げていく鍵となります。
本事例が、読者の皆様が自身のチームで継続的な改善文化を育み、技術と人間性を両立させたリーダーシップを実践するための一助となれば幸いです。